In関西~仲間に会うためだけに~

In関西~仲間に会うためだけに~

2019年5月11日 1 投稿者: smileworld

私は、ある人たちと、飲むためだけに、飛行機をとばしてきました。

私にとって、大阪は、教師としての出発点。

私の勤務した学校は、田舎育ちの自分にとってはどれも刺激が強かったです。

あくまで私の実体験です。(大阪は、荒れている学校ばかりではありません。)

今となっては、大阪の子どもも一人一人個性があって、ユニークで、もっと柔軟に私も関わりあえればよかったなと思うのですが、

そのころは大学からそのまま教師になったので、世間がものすごく狭かったと思うのです。

たくさんぶつかり合いました。椅子も投げたし、すぐ部活クビにしたし、ボールもぶつけました。ぷんぷん怒ってばかりいました。

ボールもぶつけられ、指導できないお前が悪いと訴えられ、自転車燃やされ、教室でたばこは吸われ、つばを吐きかけられ、物は盗られ、鍵を15個ほど首からぶら下げていました。(という先生は日本にいっぱいいるのでは。)

20代、教師として力がつかなかったことは「授業研究時間の確保」です。

道具が盗まれないかなど、授業を研究する前に「安全な場所の確保」ばかり優先。(笑)とにかく日々精一杯。

アフリカ事業のしんどさとはまた「質」が違うものです。

体育館で生徒が糞尿していた時代から、先生方の指導の結果、糞尿しなくなった頃に私が赴任。

私が赴任中やりきったと言えることは一つ。

『体育館では靴を脱ごう。』ということしかできませんでした。

でも、こうして少しづつ学校はよくなっていくのだと思うのです。

実際にどんどん落ち着いています。

少しずつ先生たちがその中でも愛情を与え、教えていくのです。

ほかの子どもたちも、それを見て成長していきます。

大阪の教え子たちは、お母さんになったり、起業したり。先生になったり。SNSでもみんな活躍し、立派に生きています。

以前、私につばを吐いた生徒は、久々に会ったときに、「先生。ビールをお注ぎします。」と優しい男に変わり、その時のこともあやまってくれました。私は本当に担任をしてよかったと思ったものです。

教育の効果はいつ出るかわからないものですし、自分だけが育てているわけではありません。家庭、友達、職場、、、何より本人が自分で変わる。どこの場所で教師をしようと、教師は成長の一きっかけにすぎないと思います。でも、

私は、大阪の先生の愛情深さを尊敬しています。

言うことを聞かない=指導できないのではありません。都会は分母が多い分、いろんな子どもがいます。

「一般的」な「予想できるような」指導では、もはや言うことを聞かない。その状態から関わらなければならない現実があるのです。指導力がないなどと責められたら、その先生はつぶれます。

まだまだ地方は「先生の威力」で「生徒」を抑えることができています。はた目から見れば平和ですが、私はすべてではないですが、「ちょっとこわいな。」と感じることもあります。

私は、そういう教育を受けてきたので、叱ればなんとかなる。抑えられないのは自分の指導不足と思って、怒って怒って指導をしていたので、怒らず関わりうまくいく先生を見ては、「いいとこどりでせこい!」と思っていました。

「ちゃんと指導しなきゃ。」「指導すべき」=叱責だと思っていました。

それを知った私のカウンセラーは「愛情深いだけなんだよ。」その言葉にもむかついたものでした。私には愛情がないのかと言われているようで。

でも、今はたぶん私も怒らないだろうなと思うのです。

コーチングを学んだおかげです。こっちがやり方を変えればいいだけです。指導には叱責以外にもいろんなやり方があり、その人らしい指導が個性のある教師になると今は感じます。

こんな情けなくてもがいていた自分を知っているのに、辞めた今でも私を応援してくれる仲間がいます。20代を共に苦しんで、泣いて、笑った人たち。お酒がうまいのです。

みんな、それぞれバラバラの学校になっているけど、昇格したり、立場はずいぶん変わって頑張っています。

食べすぎないようにがんばります。

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